「進撃の巨人」の物語の中では巨人になれる人々は「ユミルの民」とか「エルディア人」とか呼ばれます。
エルディア人はその巨人兵器としての潜在能力を恐れられ、世界中で差別の対象とされています。
で、「エルディア人」「ユミルの民」というふたつの呼び名に意味や違いはあるのでしょうか。
物語の中でも話の流れによって微妙に使い分けられているような気はします。この記事ではエルディア人とユミルの民の正しい用法を考えてみましょう。
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エルディア人とユミルの民は同じ?
物語の中でも重要キーワードでありながら非常にわかりにくい二つの言葉の違い。まず結論から言うと
「現代ではだいたい同じ意味。でも古代では違う」
ということになります。それぞれの指すものを定義すると
だから同じじゃないの?と思うかもしれませんが、順を追って解説しましょう。
エルディア人について
エルディア人はもともと古代の世界にいた民族の一つにすぎません。巨人化の能力もっていませんでした。
辺境の蛮族といったところでしょうか。
その後、エルディアは国となり、勢力を拡大しやがて帝国となります。
その成長の中で大きな役割を果たしたのが、始祖ユミルの巨人化能力を引き継いだ「ユミルの民」です。
エルディア帝国の王フリッツは国力を増大させるため、ユミルの子孫にはとにかく子を増やすことを推奨、巨人化できる「ユミルの民」の血を引いたエルディア人はどんどん増殖していきます。
この段階では、エルディア国民と言う意味の「エルディア人」と、巨人化能力を持った「ユミルの民」は別、というか「ユミルの民」はエルディア人というグループに含まれる一つのカテゴリーということになります。
しかし、あるレベルまで増えた血族というのは長い年月の中で均一化していくのが自然の流れ。エルディアの国民のほとんどは「ユミルの民」となります。
一方、王の血を与えられたとはいえ始祖ユミルの身分は奴隷。元々エルディアで高貴な身分だった者からすれば「汚れた血」ということになります。
パラディ島王政の高官は一般の人々のことを「奴隷用の血」と表現しています。
自らの一族にユミルの血が入るのを拒んだ彼らが、のちにパラディ島の支配階級になった人たちのルーツだと思われます。
ただ物語の舞台となっている時代には、ほぼ全てのエルディア人は「ユミルの民」化しているようです。
パラディ島の支配階級の人たちはもともとごく少数だった上、クーデターにより退場してしまっています。
あとは推測になりますが、物語の100年前の大戦でエルディア帝国は滅んでしまったので、ユミルの民化していないエルディア人たちはそのまま他国人になってフェードアウトしていった可能性もありますね。
こうして現代では「エルディア人=ユミルの民」という図式は100%正解とはいえなくても、ほぼ同じ意味で捉えられています。
しかし、次の項でも触れますがエルディア人以外でも「ユミルの民」が存在することは示唆されています。
ユミルの民とは
では「ユミルの民」はどのような場合に使われるのか。
始祖ユミルはもともとはフリッツ王が所有する奴隷の少女でした(エルディア人であるかも不明です)。
それがひょんなところから巨人の力を手に入れてしまいます。よければ詳しく書いた記事も読んでみて下さい。
こうしてユミルの巨人の力は3人の娘に受け継がれ、その娘たちの子孫がユミルの民と呼ばれるようになりました。
ちなみに3人の娘は母ユミルの背骨を食って(脊髄液を摂取して)巨人の力を受け継ぎましたが、現代のユミルの民はそんなことはしていないと思われます。
体質として定着したということでしょうか…
ちなみに「王家の血を引く者が始祖の力を発揮できる」となっていますが、フリッツ王は巨人の力を持っていたわけではないので、実質ユミルの血が重要なのだと思われます。
王家とはユミルの血統を薄めずに継いでいる直系の一族とうことでしょうかね…?でも「王家」を継ぐならフリッツの血統が重要になるはず。もしかしてハプスブルク家みたいに近親婚を繰り返して血を保っていたとか…
※邪推はこの辺でやめましょう
考えてもわからないことは置いておいて、とにかくユミルの民とは巨人化できる能力を受け継いでいる人たちを指しています。
そして全てのユミルの民は「道」によって始祖ユミルと繋がっているとのこと。始祖の巨人の力を使いこなせば全てのユミルの民に同じビジョンを見せたり、記憶を操作したり体の構造さえ変えられてしまいます。
「道」「座標」など、ユミルの民についての謎は全て解かれたわけではないですが、とりあえず今生きているエルディア人はほぼすべて「ユミルの民」となっています。
そして、エルディア帝国全盛時には世界各国でも「ユミルの民」の血が取り入れられたという話もあります。
物語の中には登場していませんが、もともとエルディア人ではないが巨人化能力を持つ「ユミルの民」も存在すると考えられます。
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現在ではほぼ同じ意味だが、強調したい時にはユミルの民が使われがち
というわけで、物語の舞台となっている時代では「エルディア人」と「ユミルの民」は同じような意味で使われています。
ですが使われ方には微妙な違いを感じます。
まず、「エルディア人」という呼び方をする場合。これはあくまで人種として彼らをさす場合ですね。
対して「ユミルの民」はエルディア人たち自身が、特に自分たちの特殊性を意識する時、もしくは巨人化に関することが話の要点になっている時に使われます。
まあ、昔から住んでいる東京都民が自分のことを「江戸っ子」って呼ぶのと同じようなもの、というのはちょっと大雑把過ぎますかね…?
とりあえず、国際的にはエルディア人と呼ばれている人たちで、特に自分たちのルーツを強調して話をする時には「ユミルの民」と表現する。そんな感じで覚えておけばいいと思います。
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